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最高裁判所第二小法廷 昭和23年(れ)934号 判決

主文

原判決を破毀する。

被告人は無罪。

検察官の上告を棄却する。

理由

辯護人板井一治の上告趣意第二點・同谷村唯一郎の上告趣意第一點・同岩沢誠の上告趣意第一點・同大塚守穂、同田中泰岩の上告趣意第一點及び同大塚重親の上告趣意第一點、第二點は末尾添附の各別紙記載のとおりである。

公職に關する就職禁止、退職等に關する昭和二十二年勅令第一號第十六條第一項第一號に「第七條第一項の調査表の重要な事項について虚偽の記載をし、又は事実をかくした記載をした者」と規定し、これに對し三年以下の懲役若しくは禁錮又は一萬五千圓以下の罰金に處することになって居るのである。そこで調査表の記載事項には重要な事項と然らざる事項とが區別せられ、重要な事項に關するものは處罰の對象となり、重要ならざる事項に關するものは處罰の對象とならないことは明かである。本件において原審は被告人の勾留及び前科は調査表の重要事項でないとする辯護人の主張に對し、被告人の勾留及び前科は、調査表の重要な事項に該當するものと解釋して、辯護人の主張を排斥しておるのである。ところで、被調査者から調査表を徴する根本の目的は、謂うまでもなくポツダム宣言に淵源しておるのである。即ちポツダム宣言第六項には、日本国民を欺瞞し之をして世界征服の擧に出づるの過誤を犯さしめた者の權力及び勢力は永久に除去せらるべきことを規定しておるのである。そして連合国最高司令官は、右ポツダム宣言の條項を実施する為めに、昭和二十一年一月四日附日本国政府に對し覺書(公務従事に適せざる者の公職よりの除去に關する件)を発し、追放の範圍その他調査表に關することも既にこの覺書の中に指令されておるのであり、又その第一七項によって、調査表の虚偽記載又は充分且完全な発表の懈怠に對し、處罰規定を設けることを指令しておるのである。而して昭和二十二年勅令第一號は右の覺書を実施する為めに制定施行せられたものであり、昭和二十二年閣令内務省令第一號は、右勅令の施行細則を定めておるのである。以上の關係法令の内容によって調査表を徴する目的は、軍国主義者及び極端な国家主義者の追放にあるのであって、その手段として覺書該當者であるか否やを審査する資料を本人自身をして提供せしめるにあることは明白である。從って調査表に重要な事項について虚偽の記載をし、又は事実をかくした記載をした者を處罰するのも、覺書該當者であるか否やの審査をするに必要な資料を正確に調査表に記載せしめ以って覺書該當者をして追放を免かれしめることのない様にする為めに外ならないのである。それであるから調査表の各項目にあたる事項であっても、その記載事項が覺書該當者であるか否やを審査するにつき実質的牽連のある事項でないならば、それは重要な事項ではないのであって、その不実記載は處罰の對象とならないのである。そしてその実質的牽連の有無は調査表の項目そのものについて、或る項目は重要である、或る項目は重要でないと云うように判斷すべきではなく、その記載事項の内容から具體的に判斷を下すべきである。そこで以上の観點から原判示の被告人の勾留及び前科が果して重要な事項に該當するであろうか。原判決の確定したところによると、被告人は昭和九年六月二十二日以降同年八月十八日迄の間贈賄被疑及び同被告事件につき、旭川刑務支所に収容せられ、同十年四月二日札幌控訴院で贈賄罪により罰金二百八十圓に處せられた事実を、昭和二十二年二月十九日北海道長官に對して旭川市長選擧に立候補のため調査表を提出するに當って、調査表に記載しなかったと云うのである。而して記録に添附してある札幌控訴院の右事件に關する判決謄本によってみると、その前科は單に旭川市長渡辺勘一に投票當選せしめた謝禮金として、昭和八年七月二十九日金八百圓を被告人から市會議員能登一郎等五名に贈賄した事実に關するものであって十数年前の古い前科であり、その刑も罰金二百八十圓に過ぎないものであって、何等被告人が覺書該當者であるかや否を審査するにつき、実質的牽連を有する事項と云うことはできないのである。果して然らば、原審がこれをもって重要な事項であると判斷したのは、法令の解釋を誤った違法あるもので、此の點において論旨は理由あり、原判決は破毀を免れないから、他の論旨に對する説明を省略する。而して以上の理由により、この點につき無罪の判決をなすべきである。

札幌高等検察廳検事伊東勝の上告趣意は末尾添附の別紙記載のとおりである。

原判決は本件起訴事実中被告人が昭和十九年三月頃勤労奉忠隊結成趣意書を印刷し約六十部を旭川市内有力者等に頒布した事実を調査表に記載しなかった事実につき、論旨摘録の如く判示して、右趣意書の如きは著述した刊行物に該當しないから、その不記載は罪とならずとしておるのである。ところで、調査表に所謂著述した刊行物とは、一定の思想を発表するため文書に作成刊行せられたものを謂うのであって、たとえ一片の紙片であって單行本冊子の體を具えないでも、苟くも一定の思想を発表する目的で印刷し多数人に頒布せられたものである以上、右に所謂著述した刊行物であると解するのが相當である。從って本件勤労奉忠隊結成趣意書は、まさに調査表に所謂著述した刊行物に該當するに拘わらず原判決がこれを著述した刊行物にあらずとしたのは、法律の解釋を誤った違法があるのである。然しながら若しこの刊行物が調査表の記載事項として重要でない事項であるならば、罪とならないのであるから、その點につき更に審究する必要がある。被告人が昭和十九年三月「憂国の士に愬ふ」と題し勤労奉忠隊の結成を提唱した刊行物約六十部を旭川市内有力者等に頒布したことは、原審の確定しておるところであるが、右刊行物(證第一號)の内容を仔細に検討してみると、その趣旨とするところは、被告人は昭和十九年三月頃戦局ようやく我れに不利の情勢にあるに鑑み、銃後国民総蹶起して生産増強の実を擧ぐる為め、勤労奉忠隊の結成を提唱したものに過ぎないのである。被告人が右趣意書を、刊行頒布した昭和十九年三月當時は、すでに戦局も急迫し戦争は次第に我れに不利な形勢に陥っておる時代であって、その頃は一般に国民皆働體制の樹立が要望せられておったのであるから、被告人が右のような趣意書を刊行頒布したからと云って、その事自體は被告人が軍国主義者又は極端な国家主義者であるとか或はこれらの主義を鼓吹し又はその傾向に迎合した者であると認むべき資料には全然ならないものである。調査表の重要事項と云うのは、前に説明したとおり覺書該當者であるか否やを審査するにつき、実質的牽連のある事項を云うのであるが、本件趣意書はその内容趣旨からみて、何等実質的牽連のあるものと云うことはできないのである。尤も右趣意書の文詞の中には、聖戦とか、一億族滅とか多少激越な文字が用いられておるけれども、これ等の言葉は當時の常套語であって、これ等の斷片的の用語を採り上げて論ずる必要はない。本件趣意書の刊行頒布が調査表の重要な事項であるか否やの判斷は趣意書の全趣旨竝びに當時の情勢に重點を措いて解釋すべきであって、趣意書の中に用いられた片言隻語の末に捉えらるべきではない。然らば被告人が本件趣意書を調査表に記載しなかったことは、罪とならないのであるから、無罪とすべく此の點に關する原判決は結局正當に歸し、從って検察官の上告は刑事訴訟法第四四六條により棄却すべきである。

仍って被告人の上告は理由あるをもって、原判決を破毀し、更らに被告人に對し無罪の言渡を為すべきであるから、同法第四四七條、第四四八條により主文の如く判決する。

この判決は、裁判官全員一致の意見によるものである。

(裁判長裁判官 塚崎直義 裁判官 霜山精一 裁判官 栗山茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎)

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